ガイドさんのお話によれば 油に芯をさし明かりをとるので坑道は煙でいっぱいなうえに岩を砕く粉塵もあり、お給金はよかったそうですが 30歳になるとお赤飯を炊いてお祝いするほど若くして亡くなる人が多かったそうです。
外にひと塊の石があって さてこの石のどこに銀があるのでしょう と問題が・・細い黒い筋に銀があるのだそうで、比重を利用して精錬し・・ と説明がつづきました。
龍源寺間歩入口
間歩(坑道)
清水谷精錬所跡(時代は少し新しい?)
忠太郎 俺あ、こう上下の瞼を合せ、じいッと考えてりゃあ、逢わねえ昔のおッかさんの俤が出てくるんだ― それでいいんだ。 逢いたくなったら俺あ、眼をつぶろうよ。
(青空文庫「瞼の母」第三場荒川堤より)
いえ いえ そりや なりませぬ赤くふちどられた目の化粧とお歯黒の口もとから発せられる意地のわるい言いまわしがほんとに性悪な仲居にみえる、でも貢に斬られるところなんて なんて豪奢な万野さんなの と感じるのです。
おまえ、今宵中待つて居たとて、
所詮お紺さまには 逢はれぬほどに、
一文にもならぬ客に付合うてゐるのも
鬱陶しいものぢや
ちやつと ちやつと 去(い)になされ
( 日本戯曲全集. 第九卷 伊勢音頭恋寝刃より)
春の真昼の霞に鋭き明り点けたる小径ありかたはらにたんぽぽのかたはらに孔雀の尾の如き草生ありそが小径にのがれてさびしくいこふ京人あり美しく幽けき面小径がつけし明りの中に更に鋭き明りをつけたり。村山槐多詩文集 「槐多の歌へる」より
(草生・くさふ)(幽けき・かそけき)
暗い青春の軌道を描く長編私小説少なくとも先日行われた林英哲氏のコンサート「槐多の残照」では 若干22歳の人生を鮮烈に駆け抜けた詩人で画家で小説家の村山槐多はリスペクトされていましたとも。
人間、駄目なときには 妙な足掻きをするものではない。
ただ、流れるまま 進んでゆくより他はないのだ。
十代にして人生列車のレールを外れた貫多の、
労働と悪態、片恋と小説の日々。(出版社は新潮社)
いつでもいっぱい汗かいている肉塊 槐多。真っ赤な照明のもと英哲さん渾身の演奏がはじまりました、身体がひとまわり大きくなったようです、きっと日々鍛えなさったのだなぁと思いました。 槐多の熱情に負けない太鼓でした、すばらしかったです。
五臓六腑に脳細胞を偏在させた槐多。
強くて悲しい火だるま 槐多。
自然と人間の饒多の中で 野たれ死にした若者、槐多よ、槐多よ。
斯くの如く奔放でなければ、斯くの如く謙虚であり得ないかも知れない。この人に傲り天に遜つてゐる作者の心には、直ちに我等を動かすべき藝術の士の尊さがある。しかも作者は僅に二十四歳であつた。この敬虔な牧羊神の歌に同感せざる得ないものは、あながち我等ばかりではあるまい。たったひと夜の英哲氏のパフォーマンス すばらしく貴重でした。
「村山槐多」を知りませんでした、音楽からイメージしよう。「槐多の残照」一昨年に続き、林英哲が八ヶ岳高原音楽堂で行う独奏コンサートのテーマは、大正8年(1919年)に22歳で亡くなった詩人で画家の村山槐多(むらやまかいた)。
京都で少年時代を送り、画家を目指して上京し、破滅的に生き急いだこの未完の美の殉教者は信州とも縁が深く、作品もこの地に多く残っています(上田市、信濃デッサン館)。この地縁を背景に、酒とデカダンと愛に取りつかれた百年前の若者の詩、絵画、人生を、百年後の還暦超えした太鼓奏者が、遠いまなざしで縦横にイメージを織り交ぜながら描く異色のコンサート。太鼓本来の特質を最大限に引き出しながら、その意味をまったく別物にしたと言えるほどの独奏スタイルを切り開いた林英哲が挑む一度きりの独奏コンサートです。(八ヶ岳サロンコンサートのページより引用しました)