2015年9月29日火曜日

坂東玉三郎さんの政岡@秀山祭九月大歌舞伎

秀山祭九月大歌舞伎夜の部の通し狂言 「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」 は切なくて悲しくて重いお話でした。

自然にそうであるかのような気品と教養を身に付けたスーパーキャリアウーマンの(現代のそれと違って謙虚に控える人格がすばらしい)乳母(めのと)政岡は一子千松ともどもお世継ぎ鶴千代のお傍でお世話をしています、お世継ぎ暗殺を狙う勢力のなかでの暮らしはさぞかしすさまじいストレスだったことでしょう。

信じるのは自らだけという境遇で毎日の食事を用意します、子供たちには心痛を見せず暖かく思いやりながらご飯を炊きます、茶道具でお茶の作法で炊く有名なまま炊きの場面は それは心情が表れて しかも流れるように自然な動作で すばらしい政岡! いや すばらしい坂東玉三郎さんの政岡!!です。
「・・・乳母がいま泣いたのはアリヤ飯の早う出来る呪(まじない)、何にも悲しいことはござりませぬ。コレモウ涙はない。ナ御覧じませ。ほヽヽヽ……。オヽ可笑しい〳〵。サア〳〵今の呪(まじない)でもう飯が出来ました。いつものように、にきにぎして上げましよ」
 しかしその後 毒殺を狙う勢力が揃うなか、千松が母政岡に言われたとおりに飛び出して鶴千代の代わりに毒菓子を食べて 大事な菓子を食べたふとどき者として政岡の眼の前で弄り殺されてしまいます。
一子千松の亡骸を前に坂東玉三郎さんの政岡が嘆く場面、すばらしかったです、ほんとうに悲しくて切ない場面です。
「思ひ回せばこのほどから歌ふた唄に『千松が七つ八つから金山へ、一年待てどもまだ見えぬ、二年待てどもまだ見へぬ』と唄の中なる千松は待つ甲斐あつて父母に顔をば見する事もあらう。同じ名のつく千松の其方は百年待つたとて千年万年待つたとて何の便りがあるろぞいの、三千世界に子を持つた親の心は皆一つ、子の可愛さに毒なもの食べなと云ふて呵るのに、毒と見へたら試みて死んでくれいと云ふ様な胴欲非道な母親が又と一人あるものか。武士の胤に生れたは果報か因果かいじらしや、死るを忠義と云ふ事は何時の世からの習はしぞ」
(「ようこそ文楽へ」の床本集 伽羅先代萩より引用しました)
これほどの苦悩と悲嘆を夜ごとにひと月のあいだ演じるのは 精神的に大変なのでは?と思います、でも友は言います、「仕事です」と。。
2015.9.2
2015.9.12
2015.9.26
観劇。

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