2015年7月31日金曜日

やっと終わる七月

七月は忙しかった。
最終日が一番長くて忙しい日だった。。(溜息)
朝からひとつ用事をすませ
昼までに寺で卒塔婆を受取って墓地に参り
昼からお客様がみえて
人を病院に送って診察につきそい
同じ病院に入院している別の人を見舞った
それからやっとひととき 自分のための用事をすませ
ここで落ち着いてコーヒーでも飲めたらよかったけど、
帰宅して
夕餉のしたく 
そして今すべてが終わったところ。。

う~ん 気を取り直して

明日から八月
祭りだ!
夜店に太鼓合戦
薪能もある
残念ながら花火大会には行けなくなったけど、
暑い夏を楽しむためにはやく寝なくちゃ
おやすみなさい!

2015年7月30日木曜日

怪談牡丹燈籠@七月大歌舞伎2015

暑い熱い今年の夏にぴったりの演目でございました。
楽しくて 面白くて 哀しくて
熱に浮かされて廻るまわる走馬灯のように 登場人物の縁が「因果応報」 に絡み合い廻るスピード感もありました。

観終わって うむ この舞台は人生の真実なのかも と納得してしまいました。
最近 友との会話にも「因果応報」という言葉がよくでていたのです、年を重ねてくれば これもあれもそのせい? インガオウホウ そういうことなのね・・ などと、まぁ それぞれどうにも逃れられないことへの答えなのだろうけれど。

小さなお子さんはほんとうに楽しそうに笑っていましたし、花道の川をゆく船に驚くお客様、客席に現れる牡丹燈籠に驚く人々の声、いったい何が起こっているのか私はその歓声にびっくりしたのでした。

個人的には大好きな玉三郎さんを初めから終わりまで見ていられるのでこんなにうれしいことはありません、好きな場面は縫い物をする玉三郎さんかなぁ ほんとうにお上手です、指先に注目しました。 火打石で火を起こすところもいいし、江戸の生活感がみていてとても面白かったのです。
お露の霊が取りついてゆうれいになる玉三郎さんも見逃せません。 楽しかったなぁ、三度も通ってしまいました。
いつもは玉三郎さんの舞台写真を購入するのですが、今回は川船のシーン、吉弥さんのゆうれいっぷり、新三郎とお露の写真をあわせて購入しました。

中車さんは歌舞伎界のチャップリンのようでした、すばらしい!

2015年7月 歌舞伎座
昼の部2回 夜の部3回観劇

七月

慌ただしく過ぎてゆく七月
暑い熱い七月
身体も心もしんどい七月

気晴らしに親孝行ドライブをしました、 今回の行程は150㎞です。
うな重を一緒に食べました、年老いた母はもう一人前食べることができません、なので包んでもらいました。
思いきり話すことができて よかったね。
まぁ 親孝行だもの、車の中だもの、いくらでも愚痴聴きます、はい。

いつもさりげない季節の飾りをしている蕎麦屋の夏仕立てです、簾の向こうは何の植物だったろう、手前には枯れ枝からこしらえた置物がたくさんあって ちいさな蟹がいました、いつも微笑ましい。

2015年7月24日金曜日

白井晟一

 
 建築家白井晟一氏自邸「虚白庵」書斎の写真タペストリー
(ここだけ写真撮影が許可されていた)
虚白庵こはくあん 1970 東京中野 現存せず
 
「戦後日本住宅伝説」という展示のひとつに 建築家「白井晟一」のコーナーがありました。
う~~む、「伝説」になってしまったのね。。

芸術的哲学的な空間がある建物!と 昔すごく白井晟一に憧れたので 胸がドキドキもし、駆けつけたいような 少し伺うように展示を見ました。 自邸の書斎の写真を大きなタペストリーにしたものでは 訊ねたこともないその書斎に立っているような感覚さえ覚えて感動しました。 
また書道に打ち込んでいらっしゃったので その書「日光」を直に見ることができたのもとてもうれしかったのです。 
薄い鉛筆で描かれた絵画のようなと評されていた図面もみることができました。 
時間だけはこんなに過ぎてしまったけれど あのころの気持ちがそのまま甦って不思議な感覚でした。 2015.7月

白井晟一 しらいせいいち
1905 京都府三条大宮生まれ
1922 京都高等工芸高校図案科入学
1928 ハイデルベルク大学入学 
    カール・ヤスパースのゼミに通う
1936 《近藤浩一路邸》
    江川太郎左衛門邸を知る
1942 中央公論社主 《嶋中雄作邸》
1951 《滴々居》
   中略
1961 《松井田町役場》《善照寺本堂》などの業績により
     高村光太郎賞
1962 『中公新書』の装丁
1967 親和銀行本店Ⅰ期
1968 親和銀行本店Ⅱ期
1969 《親和銀行本店》により建築年鑑賞、建築学会賞、毎日芸術賞
1970 《虚白庵》
1974 《サンタ・キアラ館》《ノア・ビル》
1975 《懐霄館(親和銀行事務センター)》
1980 《親和銀行本店》により第36回芸術院賞
1983 京都府嵯峨野市の《雲伴居》現場で倒れる
    11月22日逝去
(新建築社「戦後日本住宅伝説」挑発する家・内省する家 P. 82より抜粋して引用しました)

2015年7月16日木曜日

南風



 台風上陸前日
南から大きな雲が次から次へやってくる
スカイツリーが見えるほど晴れているのに
たくさんの雲が動いていく おもしろい

2015年7月11日土曜日

2015初ラウンド

 2015.7.10 百日紅の苗
ずっと降り続いていた雨が朝には上がった、だれかが運を運んでくれたのね、このところ 気がふさいでいて ラウンドも気乗りがしなかった、昨年11月にプレイしてから時間が開いてしまって 振り方さえ忘れて自信がもてなかった。
午前中は曇りで気持ちのいいそよ風が吹いていた、昼からどんどん雲が晴れて真夏の日光が照り付け 息があがりました。
久しぶりがいいのか前半はすごく良かった、後半つかれて体が回らなくなり、軸も耐え切れず、たたきつけるショット多数、雨で育ったラフの芝は固くてかたくて 横に一打だせばよかった、あごの高いバンカーにもつかまってしまった。
苦手なグリーン周りでは 習った7時5時などワンレバーショットを思い出してなかなかよかったけれど パットが弱くて(チキンというの?) 強気な球が入りました。 
でも 落ち込んでいないの、気分を変えることができてよかった、体を無心に動かすのは心にもいいのね。

2015年7月6日月曜日

山〔木査〕片

たまたま10分ほど席が隣になった婦人に話しかけられました。

相当消耗して見えたのか サンザシ片という小さなお菓子をくれて 「日本にはこの果物を売っているのをみたことはないわ、美味しいし身体にいいの、食べてみて どうぞ さぁ どうぞ」と少し外国語なまりではあるものの日本語で言ったのです。

私は どうしたことか、
知らない人から
食べたこともないものを 
いつもなら貰わないし食べないのに

その場で食べてしまったのですね。。

円い平たい硬貨のような形をした素朴な甘酸っぱいお菓子でしたけれども、なんだろう、何が琴線に触れたのかなぁ、少しの間ぽつぽつと言葉を交わし 別れるときその婦人は

「身体に気を付けてね」

と言ったのです、異国の別れの挨拶なのかなぁ、
どうしたことかしら。。

2015年7月4日土曜日

お富さん@与話情浮名横櫛

坂東玉三郎さんの歌舞伎の舞台はずいぶん久しぶりです。

5月末に藝大奏楽堂で行われた「色舞奏」の催しのなかで ベルリン・フィル シャルーン・アンサンブルの奏でる音楽にのって 玉三郎さんは舞われました。
Margaret 曰く 「最先端の芸術表現だわ!」のとおり すばらしい舞台でした・・ 

松下功さん作曲の「海へ、そして夢に」では ジャパンブルーの大きな大きな絹布を頭に覆い 下手から登場したときは まさしく 「怖ろしい大波」を思い、続く舞では穏やかな海に太陽の光が射すようなシーンを思いました、「慈悲」「寛容」「観音様」などが頭に浮かびました。

ラフマニノフのチェロソナタ19‐3では 「命」を思いました。 美しい音楽に包まれた愛おしい「命」です、ピアノもチェロもホールに響き渡りすばらしい舞台でした。

そして ひと月たって 歌舞伎座の舞台で 今日は昼の部の「与話情浮名横櫛」をみました、春の浜辺で与三郎と見つめ合い恋に落ちるお富、波瀾万丈のその後 妾宅で艶やかに暮らすお富、小紋や縞の着物が似合い 黒髪の横に挿した櫛、煙草の扱いやお化粧、台詞などなど お富の風情に憧れてしまいます。。

久しぶりの舞台 とても楽しかったです。