2017年5月8日月曜日

坂東玉三郎 x 十五代楽吉左エ門対談@国立近代美術館

茶碗の中の宇宙 楽家一子相伝の芸術
2017.3.14~2017.5.21
東京国立近代美術館

2017.3.31
坂東玉三郎 x 十五代楽吉左エ門対談
国立近代美術館講堂

楽吉左衛門さんをして(ここは)「陶芸教室だね」というほど、坂東玉三郎さんはご自身の作陶の手順を手ぶり 擬音入りで説明されます、楽さんは「ちゃんとした順番ですよ」と太鼓判を押されました。
むずかしい高台の具体的な決め方に 楽さんは「すごく端正で玉三郎さんらしい高台、率直で端正」とこれまた太鼓判を押されました。

「利休さんの待庵に座って長次郎の茶碗(大黒)でお茶を飲むということは自分は茶碗のなかにいるかもしれないという宇宙観」のおはなしはとても面白かったです。
部屋の角が円くぬぐってある小さな暗い空間で長次郎の見込みの深い茶碗を覗いたら 自分が無限無窮の空間にいる という感覚、きっとおそろしいことなのだろうなぁ。

子供のように次から次へと質問する玉三郎さん、おかげで楽さんの窯の焼き方の一から十まで詳しく理解できました、また 土のはなしも 「(土を)食べてみる」ということも知りました、どういう味がいけないのかもわかりました。

玉三郎さんが茶碗を作っていることをつい最近知った楽さん、「茶碗はひとです、そういう意味では玉三郎さんの茶碗は たいへん品のある茶碗 暴れるような茶碗でなく静かで端正」と評されました。

茶碗を持った時 すっと下がる感じの茶碗
または 浮かび心地のよい茶碗
玉三郎さんは浮かび心地のよい茶碗が好みだそうです。

楽さんは 歴代のなかでどの辺が好きか 玉三郎さんに聞きました、
玉三郎さんは「左入」と答え、それはお茶が一般の人々に広まり茶器が出回り 容易に茶碗を手にすることができて 歴代の楽のセオリーがきちんとできているからと説明されました。

それからはスライドをみながらお二人で話すのが楽しくてしかたないようす、「ここが足すに足せないし、引けないし、指なのかへらなのか とてもむずかしい」などなど、楽さんはまたしても「分かってるじゃないですか」と感心していうのでした。
「茶碗のは(あれっ聞き間違い?横でなくて底のこと?ね)大事、大きすぎると野暮ったいし 小さすぎると貧弱、高すぎると野暮」と玉三郎さんがいえば、楽さんは「よくわかってるじゃないですか」と。
いろいろを聞いて楽さんは「結構研究されてるよね、根本的な話を玉三郎さんからきくと思わなかった、これ 楽しいことですよね!」と。
聞いている私たちも楽しかったです。

人様に見せられるようなものではないのに気に入って飲む、失敗作だと思ってるのに飲みやすい茶碗があるという玉三郎さん、楽さんは「それは いい茶碗なんじゃないの?」と。良い茶碗のひとつの基準は飽きてこない茶碗というのもあると。
それは「自然」とうまくつながっている、「自然」を受け止めている、そういう茶碗はどんなに激しく表現がなされていても飽きない のだそうです。 これもいいお話しでした。

同じ年頃のお二人はこれからの人生への向き会いかたも「解放されて」「粛々と」「静かに」という言葉がでていました。

楽さんの「老い」に対する考え方がとても素敵です、「老いることはね すごく楽しい」「老いるってことは新しい自分をみつけることだから」「決して若い時代に戻りたいとは思わない」、楽さんの作品とかぶります、芸術家だ!
(2017.5.12 追記)

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