2010年4月27日火曜日

御名残四月大歌舞伎


写真は歌舞伎座前にある残り日数の電光掲示板の裏側、部の切り替え時には劇場から出る人と入る人でここから歩道にかけて大混雑になるの。

御名残四月大歌舞伎を観に交換留学生の「女王陛下」と大入り満員の歌舞伎座へ通ったわ、「女王陛下」はすっかり歌舞伎に魅せられてすべての演目を英語のイヤホンガイドでじっくり鑑賞、「来月取り壊されるこの劇場で歌舞伎を観劇できてとても嬉しい」と感激しきり。

日本人には理解しやすい自己犠牲に耐えることが美徳とされるストーリーに疑問を感じるようす。
一部の熊谷陣屋では後白河院の御落胤である敦盛の身代わりに自らの子供小次郎の首を差し出す熊谷直実、二部の菅原伝授手習鑑寺子屋では菅秀才の身代わりとして松王丸と千代は我が子の小太郎の命を差し出し、小さな小太郎でさえ菅秀才の身代わりになるのだと言われればにっこり笑って潔く首を差し伸べるというストーリーはあくまで歌舞伎の話だけれど 子供の首が盆にのせられる場面では 「なぜ?そこまで」と真剣に考え込む「女王陛下」。

観劇後 千鳥が淵へ回ってうつくしい夜桜をみたけれど 隣は靖国神社、向かいの北の丸公園には旧近衛師団司令部庁舎や軍馬にまたがる軍服姿の能久親王像があるわけで、夜の暗闇で歴史の重みを感じたわ、個人が大切にされる現代では歌舞伎をみることでそうした思いに気付く機会にはなるかしら。

歌舞伎をみると 時代をさかのぼって当時の人々の「魂」や「情」が舞台の上に甦るようでおののいてしまう、私はいきなりこの世界に在るのではなくて幾世代にも渡る無限大にちかい数の人々の暮しの上にいま在るのだとつくづく感じ入るわ。

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