石見銀山や佐渡の金山を取り仕切ったたいへんな実務家大久保長安のお墓に行きました、今年の豪雪で大木が倒れ墓の一部に被害が出ていました、そばまでいって手を合わせました。
大久保長安は病没と聞いていますが 彼の死後政治的な力?によって係累は切腹、本人も墓から掘り出されて首をはねられ その首は晒されたとガイドさんが説明していました、いったい何があったのでしょう。
大久保石見守墓へ50mの標識
今年の豪雪で大木が倒れ被害がでている石見守の墓
大久保長安の墓
忠太郎 俺あ、こう上下の瞼を合せ、じいッと考えてりゃあ、逢わねえ昔のおッかさんの俤が出てくるんだ― それでいいんだ。 逢いたくなったら俺あ、眼をつぶろうよ。
(青空文庫「瞼の母」第三場荒川堤より)
いえ いえ そりや なりませぬ赤くふちどられた目の化粧とお歯黒の口もとから発せられる意地のわるい言いまわしがほんとに性悪な仲居にみえる、でも貢に斬られるところなんて なんて豪奢な万野さんなの と感じるのです。
おまえ、今宵中待つて居たとて、
所詮お紺さまには 逢はれぬほどに、
一文にもならぬ客に付合うてゐるのも
鬱陶しいものぢや
ちやつと ちやつと 去(い)になされ
( 日本戯曲全集. 第九卷 伊勢音頭恋寝刃より)
春の真昼の霞に鋭き明り点けたる小径ありかたはらにたんぽぽのかたはらに孔雀の尾の如き草生ありそが小径にのがれてさびしくいこふ京人あり美しく幽けき面小径がつけし明りの中に更に鋭き明りをつけたり。村山槐多詩文集 「槐多の歌へる」より
(草生・くさふ)(幽けき・かそけき)
暗い青春の軌道を描く長編私小説少なくとも先日行われた林英哲氏のコンサート「槐多の残照」では 若干22歳の人生を鮮烈に駆け抜けた詩人で画家で小説家の村山槐多はリスペクトされていましたとも。
人間、駄目なときには 妙な足掻きをするものではない。
ただ、流れるまま 進んでゆくより他はないのだ。
十代にして人生列車のレールを外れた貫多の、
労働と悪態、片恋と小説の日々。(出版社は新潮社)