2017年6月30日金曜日

坂東玉三郎京丹後特別舞踊公演2017.6.25

2017.6.25
京都府丹後文化会館
一、お目見得 口上
二、秋の色種(あきのいろくさ)
三、羽   衣
坂東  玉三郎
杵屋  勝四郎(長唄)
杵屋  勝   国(三味線)
田中  傳左衛門(大鼓)

「幽玄」を除けば今年一月歌舞伎座以来になる玉三郎さんの公演です、久しぶりに舞台でお声をきくことができました、口上では京丹後市の素晴らしさを語っていらっしゃいました。

「秋の色種」は美しい玉三郎さんを堪能できます、久しぶりに聞く勝国さんの華やかで軽やかな三味線と勝四郎さんの惚れ惚れするような唄にあわせて玉三郎さんは扇をくるくるさせながら舞います。

ああ、この華やかさ 久しぶり  なつかしい 

口上では「まだ夏も始まっていないのに秋の踊りです、たいへん完成された曲なので踊るのが難しい」とおっしゃっていたような、しっとりとした秋の風情がある踊りです、黒地の着物に替えられました、「黒」がまたよく似合う玉三郎さんです。

「羽衣」では玉三郎さんのお声をきくことができました、舞台のお声も久しぶり、なつかしい。。
厳かで 軽やかな 美しい天女です。
  
玉三郎さんのご出演がないので 最近は琉球芸能や能に通っていたので 久しぶりの舞台がとても新鮮で やはり玉三郎さんはすごいな、遠いところまで山をいくつも越えてやって来た甲斐があったと思いました。

低く雲が湧き流れていくようなお天気のなか 連なる山をいくつもいくつもやり過ごし トンネルを幾つも抜けました、それこそ幽玄な景色でした。。

うゐのおくやま けふこえて

そんな言葉を思い起こしながら運転していました。

2017年6月28日水曜日

天橋立の写真たち

 京丹後文化会館に向かう途中 天橋立に寄りました、整備された歩道をすこし歩きました。 ここは鵜の天国のようでした。むこうにみえるのが天橋立ですね。
駐車場から歩いてすぐの天橋立の岸辺、波がほとんどない
石畳脇にハマナスの花が咲いていた
 

琵琶湖の哀れな活鮎に敬意と感謝を表して

2017年6月27日火曜日

琵琶湖

2017.6.24
2017.6.25
6月25日京都府京丹後市文化会館で行われた坂東玉三郎京丹後特別舞踊公演を見に京丹後市を目指し 仕事の都合で24日午後に出発しました、とても遠い京丹後市 車なので途中琵琶湖に宿をとりました、東岸で一泊 帰りは公演後西岸の宿に泊まりました。
公演後雨が降りだし 夕方雨のなか「鯖街道」(303号線)を下ったのでした、けっこうな雨にカーブが続く道 ちょっと辛かったかな、でも 琵琶湖はほんとうに感動的です、波もなく 静かで 鳥たちは低く飛び 魚は跳ねる・・ 
宿の部屋から竹生島を眺める 日が長くてよかった
低く飛ぶ鳥たち
小魚が群れて跳ねている
ほんとうに静かだ
一泊目の食事は「鮎づくし」にしました、小鮎の天婦羅、鮎の塩焼き(活鮎にはちょっとビビりました)などはほんとうに美味でした。
はねている活鮎・・ありがとう おいしかった

2017年6月20日火曜日

能・喜多流 班女

2017.6.16
国立能楽堂
「班女」喜多流
シテ/花子(はなご)粟谷能夫 能面:小面(こおもて)
ワキ/吉田少将 殿田謙吉
笛 藤田六郎兵衛
小鼓 飯田清一
大鼓 亀井広忠
地謡の方々

吉田少将と花子が取り交した扇が物語の要です、扇たちが再び出会うまでがお話しなのですがなんと90分の舞台でした、笛・小鼓・大鼓・地謡のコンサートに行ったようでした、すばらしかったです。

「幽玄」のパンフレットの中で鼓童を指導されている亀井広忠さんを見ましたし 歌舞伎では弟さんの田中伝左衛門さんをよくみますが 能舞台で演奏する広忠さんを見るのは初めてでした。
90分の間 張り詰めた音楽は途切れることがなく ほんとうに素晴らしかったです。

能を見るといつも思うのですが
「能舞台で舞う坂東玉三郎さんを見たい」
面は必要ないと思うのですが 着けていてもいいですが あの玉三郎さんが能舞台に立つ姿をほんとうに見てみたい ひたすらに見てみたい。。いったいどういうスケールなのかしら と。(だから素人は嫌だと思うでしょう、、伝統の制約があって難しいのかなぁ)

能・観世流 雷電

2017.6.7
国立能楽堂
「雷電」 観世流
前シテ/菅丞相 関根知孝 能面:童子
後シテ/雷神  関根知孝 能面:顰(しかみ)

歌舞伎では片岡仁左衛門さんの菅丞相をみたことがありますが はたしてお能ではどのような と思ってみに来ました。
前シテは童子の面をつけています、静かな穏やかな印象ですが 後シテのしかみの面をつけた菅丞相の怨霊は鉄杖をもって暴れます。。
プログラムによれば怨霊の怨みは雷や豪雨となって九十年もの間 都に災いをおこしたということです、歌舞伎で大立ち回りを見たいかな。

2017年6月19日月曜日

「坂東玉三郎」@幽玄

2017.5.16
2017.5.18
2017.5.20
Bunkamura オーチャードホール
坂東玉三郎
鼓童
花柳壽輔
花柳流舞踊家
「羽衣」「道成寺」「石橋」

鼓童を従えた「坂東玉三郎さん」が舞台を圧倒していました。
鼓童の笛太鼓謡と玉三郎さんの舞踊だけで伝統の演目「羽衣」「道成寺」「石橋」が演じられます、鼓童は「幽玄」という「気」を理解し音にしていたと思います、どんなに厳しい精進がなされたのでしょう。

面をつけない能「羽衣」は玉三郎さんにしかできません、すばらしい 必見です。

「道成寺」では舞踊家&鞨鼓パーカッショニスト玉三郎!! をみることができます。
白蛇?の化身の花子は妖艶さと情念があふれております、歌舞伎では鐘の上で見得をきって終いですが こちらでは鉄杖を振り回し 大蛇となり 祈り伏せられるお話の最後までが演じられます。内容はとても濃いです。

「石橋」では 獅子の頭の玉三郎さんがすばらしい 威厳があって 男振りも立派。。

現在の歌舞伎興行では決して味わえない「坂東玉三郎」づくしの世界でした。歌舞伎にも能にも収まらない 「型」を超えて溢れ出す坂東玉三郎さんの舞と心、時間財力体力があれば可能なかぎり楽しみたい舞台だと思います。 

2017年6月11日日曜日

2017梅干し&ジャム 記録

2017.6.4 小梅収穫 約12kg 
2017.6.6 梅干し用に漬ける

 ①かめ 小梅3.0kg 塩218g 焼酎519cc
       重石(大1.9kg中600g小500g pb285ccx3

 ②漬物樽 小梅5.7kg 塩410g 焼酎986cc
        重石5.5kg リカー900cc1パック 285ccpbx3

 ③小容器 小梅1.1kg 塩79.2g 焼酎190.3cc
        重石pb285ccx4 

2017.6.7
梅酢がひたひたにあがってきたので重石をそれぞれ2/3ほどにする

2017.6.10
少しの瑕のあるものと収穫後ぽつぽつ落ちてくる梅を集めてジャムソースにする。
800g1瓶 300gx3瓶 できた。

酸っぱいけれどアルカリ性の梅はきっと体にいい と裏ごししながら思いました。
あとは梅雨明けのころ 干します。

2017年6月9日金曜日

Okinawan Folk Song "Hatuma Busi" 沖縄民謡 鳩間節(三線&ギター)

こちらの動画はゆっくり歌われる八重山民謡 鳩間節です、歌詞付きで意味もついています。
合間に入るさっぱり分からなかった囃子の言葉と意味がわかりました、写真もとてもすてきです。

Youtube Okinawan Folk Song "Hatuma Busi"沖縄民謡 鳩間節(三線&ギター)から引用します。
はいやーようてぃば/南やようてぃば/遥か南には
かいだき ちとぅよる/美岳 手取ゆる/美しい山々が手に取るように見える
でんよーまさてぃみぐとぅ/デンヨー勝てぃ見事/ああ なんて見事なことだろう

2017年6月4日日曜日

小梅の収穫

どっさり小梅を収穫しました。

ほんとうに良いお天気です、日差しは完璧 風も完璧。

去年作った梅干しはすべてなくなり 出来上がりを期待されています。

明日から選別・星とり・水洗にとりかかり 塩と焼酎で漬け込みます。

2017年5月28日日曜日

鳩間節づくし@新垣悟

鳩間節@新垣悟

大好きな新垣悟さんの鳩間節を見ることができるので 5月26日27日池袋サンシャイン噴水広場へ「沖縄めんそーれフェスタ」の沖縄の歌と踊りを見に行きました。
鳩間節は見ているだけで楽しくなります。
3ステージもみました、その度にお色直しして登場するのでなお楽しいのです。
もし踊ることができたら 忙しい友に踊って元気づけたいなぁ!

2017年5月12日金曜日

追記しました

2017.5.8 の 「坂東玉三郎 x 十五代楽吉左衛門対談」 に追記しました。

AI

さんざん迷ったけれど
小さなロボットを予約した
スマホを新しくしないとだめかな

ロボットを 可愛がる からかう エネルギーと時間がない と気づいたので予約をキャンセルしたわ 2017.5.19

2017年5月11日木曜日

「藤」 宝生流@国立能楽堂

2017.5.10
国立能楽堂

「藤」 宝生流
前シテ 里の女 朝倉俊樹
後シテ 藤の精 朝倉俊樹  面:節木増  作り物:藤かけ松

展示室にて 宝生家伝来
 紫地下り藤模様長絹(むらさきじさがりふじもようちょうけん)
 18世紀 宝生喜内家伝来
 節木増(ふしきぞう)
 17世紀 加賀侯拝領

アフタートーク
宝生流第二十世宗家 宝生和英

前シテ 里の女は ゴールドと品のよい朱色(鬘帯や裏)の上に様々な色彩の花々が織り込まれたすばらしい装束で現れました、鬘帯は図案化された白紫えんじ色の藤が織り込まれて?刺繍?されていました、豪華です、面よりも装束に魅了されました。
後シテのすばらしいこと・・終わりまでずっと見とれました、長い黒髪に「節木増」という面をつけ ゆらゆら揺れる冠をつけています、長絹は紫の地 紫といってもとてもおちついた薄いあずき色とでもいうのかな、金の扇の箔?の上に白い藤が幾房もかかっています、抑えた朱や薄緑の葉もあり とても品がよいです、朱の袴?と白い足袋にとても映えています。

序の舞もたっぷりとしていて咲き誇る白藤を思いました、「節木増」という面がすばらしく とても華があってふわ~っとしていて 藤の精は見事でした、よいものをみせていただきました。

トークで宗家がおっしゃっていた 「能をオペラのようにみるのではなくて 美術館でみるように 個人的に心を静かにリラックスして じっくりと時間をすごしてください」 ということがとてもよくわかりました。

ほんとうに一枚の大きな絵を見ているようでした、「春のかたみ」の藤の花が風に散っていく様です、最後に地謡がうたいます、
かかれる松にうす花の、色紫の、雲の羽袖をかへす舞姫、歌へや唄へ折る柳落つる梅あるひは花の、鶯のさえずりの、声の匂ひも深みどり、英遠(あお)の浜風多枯の浦波、打ち散らし吹き払ひ花も飛び行く胡蝶の夢の、春の短夜明くる横雲に、光影さす朝日山の、光影さす朝日山の、梢に青葉や、残るらん(プログラムより)
素敵な風景でしょう、短夜が明けたら新緑の世界が広がって終わります、アフタートークに登場した宗家は 「みなさん おはようございます!」 と言って登場しましたもの。

2017年5月8日月曜日

忘れないために

あぁこんな時間になってしまった、
感想もどんどん薄まってしまう、なんでも文字にmemoにつけておかなくちゃだめね
この速さだと もうすぐ年賀状書くようよ 

林英哲 鼓動@LFJ2017

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017
LA  DANSE

2017.5.6
東京国際フォーラム ホールC

林英哲(和太鼓)
シモーネ・ルビノ(パーカッション)

林英哲: 一番太鼓 三つ舞
ゲラシメス: アスヴェンチュラス
カンジェロージ:: バッド・タッチ
クセナキス: ルボンB
水野修孝: 交響的変容 
        第3部「ビートリズムの変容」から 鼓動

才能にあふれ大人気の26才のシモーネ・ルビノさんは10才の時から林英哲さんに憧れていたそうです、ところどころ英哲さんの打ち方にも似て、というか パーカッションの範疇に英哲さんも入っているのね。
水野修孝作曲の交響的変容は3時間の大作ということでしたが ティンパニと大太鼓で演奏される 第3部「ビートリズムの変容」からの「鼓動」はすばらしかったです。
舞台の上はシンプルに大太鼓とティンパニだけですが 音曲として成り立っていて聴かせてくれました、大迫力の音は座席も揺れるほど 反響がうしろからもやってきてとても楽しかったです。
ティンパニの柔らかな金属的な音と大太鼓のリズムと震動が組み合わさり東西の太鼓を存分に味わいました。
英哲さんは前日にもモノプリズムを演奏したばかりなのに ほんとうに力強く打ち お若い!、その後ろにどれだけの努力があるのだろう と感服しました。 

林英哲モノプリズム@LFJ2017

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017
LA  DANSE

2017.5.5
東京国際フォーラム ホールA
指揮 井上道義

シンフォニア・ヴァルソヴィア
ピョートル・コストゼワ(ティンパニ)
ピョートル・ドマンスキ(ティンパニ)
林英哲
英哲風雲の会

グラス: 2つのティンパニとオーケストラのための幻想的協奏曲(全3楽章)
石井眞木: モノプリズム(日本太鼓群とオーケストラのための)

オーケストラの前面にティンパニが二組 後ろ中央に大太鼓がセットされていました、指揮は井上道義さんです、 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017の今年のテーマはLA  DANSEです、井上さんの指揮はみているだけでもとても楽しいのね テーマの如く軽くステップを踏みながら手を大きくふり いや手だけじゃないの 体で踊るように指揮します、ボストリッジも歌曲を大きく体を揺らしながら歌いますが それ以上でした。 2曲ともとても大きくまとまりがありきれがあり柔らかく包容力がありました、先日聞きに行った楽吉左エ門さんと玉三郎さんの対談で楽さんは「茶碗はひとなんです」とおっしゃっていましたが 指揮も「ひと」なのですね。
モノプリズムはたいへんよかったです、どのパートも勝ちすぎることがなくてすべてがひとつにまとまっていたように感じました。

玉津@手水の縁2017.4.15

2017.4.15
国立劇場おきなわ
組踊「手水の縁」
 立方指導 宮城能鳳
 地謡指導 照喜名朝一

山 戸  東江裕吉
玉 津  新垣 悟
志喜屋の大屋子  玉城盛義
山口の西掟  嘉手苅林一
門 番  玉城 匠

薄絹の幕の後ろで音楽が演奏されます、ロマンチックな恋のお話 水を請われた玉津(「たまつぃ」と読みます、「タマチー」 なんて可愛い名!)はひしゃくで水を差し出しますが 手ですくった水をといわれます、手水を飲ませるところがドキドキします、また 山戸(やまと)が夜の闇のなか玉津のところへ急ぐところは琴の音楽がすばらしくきれいです、山戸の気持ちもよく出ていて面白かったです。
玉津が長い髪を洗う場面もあるんです。。

坂東玉三郎 x 十五代楽吉左エ門対談@国立近代美術館

茶碗の中の宇宙 楽家一子相伝の芸術
2017.3.14~2017.5.21
東京国立近代美術館

2017.3.31
坂東玉三郎 x 十五代楽吉左エ門対談
国立近代美術館講堂

楽吉左衛門さんをして(ここは)「陶芸教室だね」というほど、坂東玉三郎さんはご自身の作陶の手順を手ぶり 擬音入りで説明されます、楽さんは「ちゃんとした順番ですよ」と太鼓判を押されました。
むずかしい高台の具体的な決め方に 楽さんは「すごく端正で玉三郎さんらしい高台、率直で端正」とこれまた太鼓判を押されました。

「利休さんの待庵に座って長次郎の茶碗(大黒)でお茶を飲むということは自分は茶碗のなかにいるかもしれないという宇宙観」のおはなしはとても面白かったです。
部屋の角が円くぬぐってある小さな暗い空間で長次郎の見込みの深い茶碗を覗いたら 自分が無限無窮の空間にいる という感覚、きっとおそろしいことなのだろうなぁ。

子供のように次から次へと質問する玉三郎さん、おかげで楽さんの窯の焼き方の一から十まで詳しく理解できました、また 土のはなしも 「(土を)食べてみる」ということも知りました、どういう味がいけないのかもわかりました。

玉三郎さんが茶碗を作っていることをつい最近知った楽さん、「茶碗はひとです、そういう意味では玉三郎さんの茶碗は たいへん品のある茶碗 暴れるような茶碗でなく静かで端正」と評されました。

茶碗を持った時 すっと下がる感じの茶碗
または 浮かび心地のよい茶碗
玉三郎さんは浮かび心地のよい茶碗が好みだそうです。

楽さんは 歴代のなかでどの辺が好きか 玉三郎さんに聞きました、
玉三郎さんは「左入」と答え、それはお茶が一般の人々に広まり茶器が出回り 容易に茶碗を手にすることができて 歴代の楽のセオリーがきちんとできているからと説明されました。

それからはスライドをみながらお二人で話すのが楽しくてしかたないようす、「ここが足すに足せないし、引けないし、指なのかへらなのか とてもむずかしい」などなど、楽さんはまたしても「分かってるじゃないですか」と感心していうのでした。
「茶碗のは(あれっ聞き間違い?横でなくて底のこと?ね)大事、大きすぎると野暮ったいし 小さすぎると貧弱、高すぎると野暮」と玉三郎さんがいえば、楽さんは「よくわかってるじゃないですか」と。
いろいろを聞いて楽さんは「結構研究されてるよね、根本的な話を玉三郎さんからきくと思わなかった、これ 楽しいことですよね!」と。
聞いている私たちも楽しかったです。

人様に見せられるようなものではないのに気に入って飲む、失敗作だと思ってるのに飲みやすい茶碗があるという玉三郎さん、楽さんは「それは いい茶碗なんじゃないの?」と。良い茶碗のひとつの基準は飽きてこない茶碗というのもあると。
それは「自然」とうまくつながっている、「自然」を受け止めている、そういう茶碗はどんなに激しく表現がなされていても飽きない のだそうです。 これもいいお話しでした。

同じ年頃のお二人はこれからの人生への向き会いかたも「解放されて」「粛々と」「静かに」という言葉がでていました。

楽さんの「老い」に対する考え方がとても素敵です、「老いることはね すごく楽しい」「老いるってことは新しい自分をみつけることだから」「決して若い時代に戻りたいとは思わない」、楽さんの作品とかぶります、芸術家だ!
(2017.5.12 追記)

「越路吹雪に捧ぐ」三十七回忌特別追悼公演

2017.3.29
「越路吹雪に捧ぐ」三十七回忌特別追悼公演
日生劇場 16:30公演

姿月あさと ビギン・ザ・ビギン
貴城けい  セ・シ・ボン
美翔かずき フルフル
鳳 真由  恋ごころ
美翔かずき セレソ・ローサ
鳳 真由  ジョリー・シャポー
湖月わたる ブギウギ巴里
水 夏希  家へ帰るのが怖い
春野寿美礼 ジュ・テムレ
杜 けあき  枯葉
姿月あさと そして今は
安寿ミラ  じらさないで
寿ひずる  チャンスが欲しいの
貴城けい オー・シャンゼリゼ
水 夏希 メランコリー
真琴つばさ ジジ・ラモローゾ
安寿ミラ  洒落にしましょう
寿ひずる 夢の中に君がいる
剣 幸   愛の讃歌 (以上一部)

湖月わたる ろくでなし
貴城けい  君を待つ
杜けあき  サン・トワ・マミー
剣 幸    イカルスの星
真琴つばさ  パリ野郎
春野寿美礼  群衆
水 夏希  水に流して
剣 幸   バラ色の人生
真琴つばさ 人生は過ぎゆく
安寿ミラ  愛の幕切れ
杜けあき  誰もいない海
坂東玉三郎  妻へ
寿ひずる  ラストダンスは私に
姿月あさと ケ・サラ
ペギー葉山 シャンソン
全員  幸せと売る男
     すみれの花咲く頃

華やかなステージでした! 越路吹雪の世界はなんておしゃれなのでしょう、また美しさと歌唱が確かな出演者のみなさんはすばらしく 第一部が終り休憩に入ったときには 涙を友にみられてしまいました、「何か重なるものがあったのね」なんていわれましたが 「夢の中に君がいる」「愛の讃歌」かなぁ。。楽しい時間はあっという間に過ぎました、いい曲ばかり、宝塚の皆さんのすばらしいこと、昔にみていたら魅せられてファン道まっしぐらだったかも。。
坂東玉三郎さんはゆっくりとしみじみと「妻へ」を歌いました、低いバリトンです、響きました。
ペギー葉山さんは「シャンソン」を歌いました、お元気ねと話していたのにそれが最期のステージになるとは思いもしませんでした、ご冥福をお祈りいたします。

海人@国立能楽堂

2017.3.17
国立能楽堂

能 宝生流
「海人 懐中之舞」
 海人 大坪喜美雄
 龍女 大坪喜美雄

狂言 和泉流
「花盗人」
 野村万作
 野村萬斎
 

2017年4月27日木曜日

雲林院@国立能楽堂

2017.4.21(金)
国立能楽堂
「雲林院」 宝生流
前シテ 老人     渡邊荀之助 能面:小尉(こじょう)  
後シテ 在原業平  渡邊荀之助 能面:中将(ちゅうじょう)

お話がとてもロマンチック。
伊勢物語に親しんでいた主人公はある夜 都北山の桜のさく「紫野の雲の林」にいる在原業平を夢にみます。
霊夢を信じて雲林院にやってくると前シテの老人に会います、老人は花咲く樹のもとで眠って夢のつづきをみなさいといいます、やがて後シテの在原業平が登場し伊勢物語の品々を舞います。

いままで見たことがなかったのでどんな見え具合かしらと脇正面のチケットをとったのですが 失敗でした、この演目こそ正面で見たかった、「業平さーん こっち向いて」と何度も心に思いました。

序の舞もよかったですし やはり中将の面から目を離せませんでした、たっぷりしたふくよかなお顔に細い髭をたくわえ でもどうして眉根を寄せていて 少し辛そうに少し悲しそうにみえるのでしょう、切れ長の眼に開いた黒目が素敵です。

謡のことばもロマンチックで こんな能もあるのですね。
よく単語として聞くだけだった「在原業平」がそこにいる…と感じられました、すごく面白かった。。

2017年4月25日火曜日

HAPPY BIRTHDAY !

いつもの公園の藤棚 桜が終って藤が咲き始めた

坂東玉三郎さん お誕生日おめでとうございます!


 

2017年4月23日日曜日

牡丹 2017

沖縄へ行く日(4月14日)に美しく咲いていた牡丹の島大臣ですが 16日に帰ってきたら散りはじめていた、花の命はほんとうに短いのね。
遅れて咲いた聖代は明日には散り始めるかな、充分美しさを楽しんだわ。

2017年4月19日水曜日

首里城など 2017.4.15



きれいな声で鳴く鳥がたくさんに オオゴマダラ(蝶)がそこここをゆったり飛ぶ風景はいいですね 海はすぐそこで色とりどりに咲く花によい声で啼く鳥 蝶もたくさんで むかし住んだことのあるボルネオの自然を思い出しました。
小さな花が集まってる?花の名はなにかな
屋根の中央にシーサーが・・漆喰が塗ってあるきれいな屋根
首里城守礼門
首里城のシーサー
夕食後散歩がてら首里城まで歩くことに・・近道は超急登の道でした のんびり写真をとっていたら 沖縄の友が「時間が・・」と言ったとおり 暗闇のなか次々と城の扉が閉まっていき 残念ながら奥まで行き着くことができませんでした、ライトアップされた首里城は美しかったです。

2017年4月18日火曜日

斎場御嶽せいふぁうたき 2017.4.15

南城市東はしの海沿いに斎場御嶽せいふぁうたきがあります、知念岬に入る角の物産館駐車場に車を止め入口まで歩きます、入口でチケットを求め 説明VTR3分を流してくれます、またガイドさんもつくようでしたが時間が限られていたので 自分たちで見学しました。
石灰岩の石畳は多くの人が歩いたのでツルツルに磨かれて滑りやすく、樹々が生い茂る聖地は ガイドさんや見学者がいなければもっと神聖な場所が実感できたかな。

初代1470年から15代1875年までの約400年余りにわたって琉球王府の神事を担った聞得大君が祈りをささげた場所なのだそうです(説明書より引用)